小鯵の南蛮漬けが好物の一つで,一時は月に4回は同じ寿司屋に通って飽きもせずに小鯵の南蛮漬けを食べ続けた。その寿司屋は惜しくもすでに閉店してしまっているが,結局その寿司屋では一度も寿司を食べず,ひたすら小鯵の南蛮漬けであった。大将には悪いことをしたと思いつつも,今更ながらに残念と思うのは,あの小鯵の南蛮漬けがもう二度と食べられないことである。途中から,店の女将さんも私が小鯵の南蛮漬け以外を注文する気がないことを悟ったようで,「いつものね」と威勢よく声を上げると,私の返事も聞かずに,さっとカウンターに小鯵の南蛮漬け定食を出してくれた。とにかく,旨いのだ。漬け込みすぎず酸っぱすぎず,ほのかな甘みと酸味のバランスが絶妙で,たまねぎ,にんじん,ピーマンの割合も完璧といってよい。見た目も美しく,旨いぞ!と自己主張している様なのだ。きっと寿司も格段に旨いのだろうが,私にとってこの寿司屋は寿司屋ではなく,小鯵の南蛮漬け屋だったのだ。しかし,なぜ寿司屋に南蛮漬けなのか。純日本的な寿司と南蛮の組み合わせの不可思議さ。確かに共に酢を使う料理という共通点はあるが,寿司屋で南蛮漬けを出す理由が思い浮かばない。最高の小鯵の南蛮漬けを作ってくれた大将に聞いてみたいが,今更である。ちなみに,この寿司屋には都合5年は通ったが,大将と言葉を交わしたのは数えるほどだ。やはり私は変わった客だったのだろう。とにかくにも,寿司と南蛮漬け,改めて考えればちょっと不思議であるが,不自然ではない。食とはまさに,謎の多き文化だ。
南蛮漬けの由来は, 魚などを油で揚げて、ねぎや唐辛子と一緒に酢漬けにした料理,「南蛮」は、東南アジアを経由してやってくるポルトガルやスペインを指し、香草、香辛料と油を用いた新しい調理法ということで、外国を意味する「南蛮」によって示された, ということらしい。南方の異国から来たから南蛮。おかしいことは何もない。更に詳しく調べれば,南蛮漬けの原型が「エスカベージュ」という料理であることも分かる。いずれにしろ,食は発祥の地から海を渡り異文化に触れて変容することによって,土地に根付いていくということの良い事例であろう。南蛮という名前がオリジナルへの敬意であると考えれば,いろいろなことに合点がいく。更に南蛮漬けは,日本料理という位置づけらしい。 南蛮漬けが和食であるなら,寿司屋のメニューにあっても違和感がないのは当然で,言うなれば寿司屋に茶碗蒸しと同じということだろう。愛しの南蛮漬けが和食であったことも意外だったが,それが江戸時代から続く料理であったことにもちょっとした驚きだった。江戸時代から現代まで,消えてしまったものは数えきれない。あの素晴らしい浮世絵の版木を再現できる職人はほとんどいないらしい。だが抜群に旨い小鯵の南蛮漬けを作る料理人は数多いる。食の力と文化は,なんと凄いものであろうか。ここ20年ほどの経済グローバリズム化が一過性の単なるムーブメントに思えてくる。
こうやって小鯵の南蛮漬けの話だけでも,かなり奥深い。いろいろと食べて調べてみることによって,さらに食の奥深さを知ることができるのだろう。そこで今回は,食についての本を集めてみた。食べる前に読むのもよし,食べた後に読むもよし。食文化の奥深さを体験できること間違いなしだ。ちなみに,もう一つの大好物は「天津飯」。これもなかなかに食べても調べてもよい料理である。