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緊急事態宣言による外出自粛期間に見続けていたのは,テレビでも映画でもなく,ボクシング動画だった。社会全体を包むネガティブな空気に毒されることなく,比較的上手に自粛期間を乗り越えられたのは,ボクサー達のおかげに他ならない。ボクシングはいつでも,私の胸を熱くする起爆剤のようなものなのだ。 それにしてもこの期間に改めて驚嘆したのは,現在軽・中量級最強と言われる井上尚弥の信じがたいほどの強さだ。ボクシング未経験かつテレビ観戦中心の私のようなボクシングファンにもその凄さは圧倒的に伝わってくる。過去,これが当たれば必ず倒れるという一撃を持つボクサーは数多いた。山中慎介の左ストレート,長谷川穂積の右カウンター,辰吉丈一郎のボディフック,そのパンチが敵を捉えた瞬間,勝者と敗者が確定し,リングに立ち続けた者は全てを手に入れる。しかし,井上尚弥は違う。すべてが卓越しているのだ。一つのパンチ,一つの動き,すべてが極み。「敵のパンチより先に自分のパンチを打ち込む」,言葉にすればボクシングは単純だ。しかし,リングの上の戦いは幾重もの鍛錬と鋼の意志が交差する全身全霊を賭した修羅場である。そこで起こりうることが単純であるはずがない。しかし稀に,リング上の全ての出来事を簡単にしてしまうボクサーが登場する。井上尚弥とはそういったボクサーなのだ。あるボクシングファンは井上尚弥をこう評した。【井上尚弥はリングの上に立つ正義である】確かに,この評は100%正しい。まさにそのとおり,膝を打つしかない。強さを超えた地点にある正義,井上尚弥は今,それを体現している。ボクサーはすべからく強い。なぜならその性として,自らを追い込み,リング上での勝利をただひたすらに渇望するゆえに。ボクサーは自らが選び,そして選ばれた存在であるからこそ,強さを超越した時,正義を身に纏うに相応しい。大人になって久しく見ることのできなくなった「正義」,それを私達は憧れの眼差しと共に比類なき強さを持つボクサーの背中に見る。ボクサーが戦い続けてるのは自分のため,決してリングに上がれない私達のために戦ってはくれない。だからこそ,リングに上がれない私達たちは私達なりの「正義」を見つける必要がある。ボクサーのように生きることを望むのであれば。 10年ほど前,「正義ブーム」があったことを記憶してる人も多いだろう。ハーバード熱血教室で思い出す人もいるかもしれない。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の著書「これからの正義の話をしよう」は世界中でベストセラーになった。多くの場合,人はなかなかにややこしい存在だ。単純とは程遠い。単純化できるとしても,それを何かが邪魔をする。サンデル教授は有名な「トロッコ問題」を使って学生たちに問いかける。しかし現実は「トロッコ問題」よりも更に頑迷だ。テロに格差,人種差別に地球温暖化,少子高齢化にグローバリズム,これらの問題のどこかに「正義」はあるのだろうか。それなのに,「正義ブーム」はいつのまにかひっそりと消えてしまった。それはまるで,真のチャンピオンが消え,ただ強いだけのボクサーが残ったリングのよう。しかし今,私達は真のチャンピオンと同じ時を生きている。ならば,もう一度,「これからの正義」について話してみるのも悪くないではないか。 いつか必ず井上尚弥を超えるボクサーが現れる時が来る。本人の衰えにより負けが訪れるのは必然ではあるが,井上尚弥の今の強さと衰えが,ピーク時の井上尚弥を超えるボクサーを生み出す。例えば,辰吉丈一郎が幾度もの激戦の末衰え,ウィラポン・ナコンルアンプロモーションにめった打ちにされた時のように。また,6年を超えて王座を防衛し,【リンク上の正義】となったウィラポン・ナコンルアンプロモーションが完璧なまでの右カウンターをもつ長谷川穂積に完膚なきまでにノックアウトされてその座を降りた時のように。ボクシングの勝敗には時の運がある。しかし,正義には時の運が付け入る隙はない。だからこそ【リングの上の正義】は勝ち続けなければならない。ボクシングでは,正義を倒すのは次のさらなる強大な正義なのだから。